思考のクセ③:白か黒か(”Black and White” Thinking)
こんばんは、ひとみーなです。
普段は「石橋を叩きすぎて渡るタイミングを外す」タイプの私ですが、極たまに閃き(ヒラメキ)で行動に移すことがあります。
この「思考のクセ」の解説をシリーズ化したら、もっと自分の心の動きに関心を持ってもらえるのでは?そう思いついてしまって、勢いで始めてみましたが、今のところ面白いと言ってくださる方もいらして、大変励みになっています。
今回から、具体的な思考のクセをご紹介しましょう。
認知行動療法(Cognitive Behavioural Therapy)では、創始者のアーロン・ベック博士によって認知の歪み(Cognitive Distortion)が提唱され、デビット・バーン氏によりそれが整理されました。
今回はまずはわかりやすいものから。さて、あなたに当てはまりますか?
思考のクセ①「白か黒か」(”Black and White” Thinking)
<どんな人?>
白黒はっきりつけたい人、そしてそれに当てはまらないグレーな部分は認められない・認めたくない人、のことです。
これはよく聞きますね。
どっちかにはっきりさせないと嫌なんです。そして自分が思った方向でないと、実は許せなかったりします。
この「白か黒か」の対象は
・自分だったり
・相手だったり
・環境や状況だったりします。
私は良い人なの?悪い人なの?価値がある人なの?ない人なの?
あの人は敵なの?味方なの?デキる人なの?ダメな人なの?
この状況は許されるの?許されないの?
人間や世の中は、そう単純にはできていません。
いろんな要素が複雑に重なり合い絡まり合い、単純に白、黒、と言えないことの方が多いでしょう。そう、グレーのエリアです。
ある部分では白だし、違う部分では黒かもしれない。
でも、単純に割り切れないものを全部「ダメ」としてしまうと、
「ダメじゃない」なものは世の中にどれだけ残っているでしょうか。
<この考えが感情に与える影響は?>
この考え方は、感情にどういう影響を与えるでしょうか。
・はっきりしない自分、ダメな自分について
憤りを感じる、落胆する、悲しくなる、自分はダメだと落胆する、自信がなくなる、やる気がなくなる、絶望を感じる
・はっきりしない相手、ダメな相手について
怒る、感情的になる、なぜ考えが改まらないか理解に苦しむ、ダメなやつだと諦める、絶望を感じる
どうしてこういう風に考えるようになってしまったのでしょう。
これが、前回・前々回の「思考のクセの生まれ方」のお話を思い出してください。
ご自分の両親が「白黒はっきりさせないとダメだ」といった考えをお持ちでなかったですか?
子供は本能的に「両親に愛されたい」気持ちがあります。
愛されるために、親の望む人間になろうとしてしまいます。無意識に、です。
もし親の望む言動をして褒められた場合、嬉しいでしょう?その成功体験が心に刻まれます。
でも、どんなに努力しても褒められなかった場合、自分はダメなんだ、愛されるべき人間でないんだ、そういった思考が擦り込まれます。
逆に、親のグレーな考え方や言動が理解や納得ができず育った場合はどうでしょう。
そうはなりたくないという強い反抗心が生まれ、白黒はっきりつけたくなり、自分の周りのグレーに対していろんなネガティブな感情を持ってしまいます。
こんな感情をずっと持ち続けていると、しんどいですよね。
自分だけでなく相手にも白黒を求めますので、人間関係にも影響を及ぼしてしまいます。
<どうやって解消する?>
「世の中すべて、グレーである」「世の中には例外も存在する」「全部が完璧なわけではない」
そう頭で理解してみましょう。
親だって、先生だって、皆完璧ではありません。
白に近いグレーかもしれないし、黒に近いグレーかもしれない。
自分の頭の中にある答え自体が完璧ではないかもしれない。
頭で理解はしていても、感情はそう簡単についてきてくれません。
ある程度の練習が必要です。
そのためには、まずは気づくこと。こんなクセがあるんだ、だから苦しかったんだ、って気づくこと。
過去を振り返って自分の心の傷の原因を探っても、探っただけでは今の現状は変わりません。
今の気持ちを癒すため、また明日の、未来の自分が前向きに頑張れるように、
思考のクセをなおす「行動」をとってみましょう。
自分に「白か黒か」の傾向があると感じた方は、
「あ、また『白か黒か』をやっちゃった!」って意識してみてください。
そして、感情がマイナスに動いたら、まずは深呼吸。
ここでご紹介しているのは、思考のクセの代表的な形態です。
思考のクセ自体、単独では存在しませんし、人それぞれ生まれ育ちも現在の環境も違うでしょう。
心を健康に保つということは、身体の健康にも自分の魂の健康にも直結します。
この情報が皆様の心の癒しのお手伝いとなりますよう。