思考のクセ④:〜すべき(”Shoulds”)
こんばんは、ひとみーなです。
前回の「白か黒か」は如何でしたか?
当てはまる!と思われた方も少なくないのではないかしら。
さて今回は、いろいろな方とお話ししていて一番多いかな、と思う思考のクセをご紹介しましょう。
思考のクセ その②「〜すべき」(”Shoulds”)
<どんな人?>
「私は〜すべき」
「あなたは〜すべき」
「家族は〜あるべき」
そういった口グセ、よく聞きますね。誰でもこのフレーズを使ったことがあるはずです。もちろん私もそうでした(過去形)。
別にこの口グセを使うだけでは問題ありません。思っているだけで口に出さない方もいます。
問題となるケースは「すべき」ことを自分や人に強要し、それが上手くいかない場合や自分の思った通りにならない場合です。
そのことに対して、感情が大きく乱れます。心が辛くなります。
では、何故このように思うようになってしまうのでしょうか。
もちろん、育った環境というものも大きいです。
親だけではありません。学校の先生、クラブやサークル、会社の先輩、
自己啓発系セミナー、コンサルティング、カウンセリングの先生、
そんな方に言われて、そう「すべき」ことが正しい、正義だと思ってしまう、
そんな刷り込みがあるかもしれません。
とても真面目な人、真面目になりたい人に多いです。
でも、その「すべき」の正体は一体何でしょう。
<この考えが感情に与える影響は?>
この考え方が行き過ぎると、感情にどういう影響を与えるでしょうか。
・親や家族を含む、他人に対して「すべき」と思っている場合
その他人が「すべき」ことをしない・できないと、
「こんなに相手を思って助言してあげてるのに!」と思い、
憤りを感じる、腹が立つ、イライラする、悲しくなる、
・自分に対して「すべき」と思っていることができない場合
絶望を感じる、自分はダメな人間だと思う、悲しくなる、
自分は生きる価値がないと思う、
自分は愛される資格はないと思う
どうして「すべき」と考えるようになってしまったのでしょう。
自分が「すべき」と思うことは、自分の理想。
自分の中で作り上げた、自分や他人のあるべき姿。
そして自分の「理想」と現実とのギャップ、これがこの方を苦しめます。
「すべき」といったり思ったりしてしまうのは、現実がその理想に追いついていない、そう考えてしまうからでしょう。
<どうやって解消する?>
ちょっと一歩引いて、考えてみましょう。
自分が「すべき」と思うことは、相手の「すべき」ことと本当にイコールでしょうか?
相手だって自分の「すべき」ことが解っているかもしれないし、それは自分が思う「すべき」ことと違うかもしれません。そんな中、自分から「これはこうすべきだ」、そう言われてしまうと、相手だって反感を抱いてしまいますし、人間関係にも影響が出ます。
本当に、相手の状況や立場、感情を考えていますか?親切を押し付けていませんか?余計なお世話になっていませんか?
特に、お子さんに対して、部下に対してこの言葉を発してしまう場合は要注意。知らず知らずのうちに、彼らの心に大きな傷を負わせている可能性があります。
一回、冷静に話し合ってみましょう。
なぜ自分が相手に対して「すべき」と思うのか、
そしてなぜ相手がそうしないのか、そうじゃないと思うのか、
そのギャップは、話し合いで、お互いを理解することで、埋まることが多いです。
そして、自分に「すべき」ことを課してしまう場合、
自分が「すべき」と思うことは、自分が本当に目指すものでしょうか?
例えば、偉い先生が「成功するためにはこうすべき」「良い家庭を作るにはこうすべき」と言ったとしましょう。
その先生が考える状況と、自分の状況は全く一緒ですか?
先生が言ったことがある意味、理想的姿かもしれませんが、今の自分の現状と大きなギャップがあった場合、それが叶わずに嘆くのではなく、
自分の現状から、まず「一歩」だけ前に進むことを具体的に考えてみましょう。
そしてそれができたら、自分を褒めてあげる。そうやって、理想に近づくのです。
進み始めたら、ひょっとしたら最初に思っていた理想がゴールで無くなっているかもしれませんが、それはそれでよし。
「すべき・あるべき」姿が違って見えてくるかもしれませんね。
もちろん、ここで紹介しているのは数あるケースのうちのほんの少数。
ひょっとしたら自分は「すべき」思考かもしれないけれども、
でも例が当てはまらない、そんなケースは、どうぞお問い合わせくださいね。
ここでご紹介しているのは、思考のクセの代表的な形態です。
思考のクセ自体、単独では存在しませんし、人それぞれ生まれ育ちも現在の環境も違うでしょう。
心を健康に保つということは、身体の健康にも自分の魂の健康にも直結します。
この情報が皆様の心の癒しのお手伝いとなりますよう。